2015/10/23

危機を克服するために管理者が貢献できる役割~印刷業界の一企業を事例として~

1.管理者の職務上の役割と能力

激変する企業環境の変化のなか、業績悪化の企業が急増している。外部環境変化に対して従属的な企業から環境変化に自立的に適応できる企業への脱皮が急務となっており、さらには、外部環境に対して積極的に働きかけていく必要がある。しかし、企業に課せられた経営課題を経営者一人の力だけで解決することは難しく、管理者も重要な役割を果たすことが必要となってきている。

ここで、管理者の職務上の役割と能力は大きくわけて4つある。

第一に業務管理は、経営目標に基づいた部門目標を打ち立て、目標を達成するための具体的な計画を設定し、種々の手段を講じながら計画を実行することである。そして、計画どおりに行われているかを確認し、計画どおりに行われていない時は計画どおりにいくように修正処置をとることである。

第二に業務改善は、業務管理と表裏の関係にある。管理が行われなければ改善の効果もあがらず、業務改善が進まなければ管理ができなくなるという関係にある。すなわち、業務改善が行われても、それを定着させるための管理がなければその場だけの効果にとどまり、努力目標とそれに対する計画がなければ目標達成のための業務改善も生まれてこない。

第三に管理者の重要な役割として部下の育成がある。部下が育ってこそ組織的な活動を行うことができる。人材育成においては、職務能力の面に比重が置かれがちであるが、人格能力の面も合わせて育成していかなければ本当の意味での人材育成は完結しない。部下を指導していく上では、管理者自身の職務能力の向上と人格能力の向上が必要である。

最後に組織活性化である。部下一人ひとりの能力を発揮させながら、ボトム・アップをはかっていくことが組織の活性化である。

 

2.事例企業を取り巻く環境変化

今回は、近年の環境変化の影響を大きく受けている印刷業界に属しているA社を事例企業として取り上げ、A社が管理者の貢献によってどのように危機を克服してきたのかを紹介したいと思う。

近年、IT化の進展が著しく、様々な業種に大きな影響を与えている。印刷業界も例外でなく、DTP(Desk Top Publishing:机上出版)の登場によるプリプレス工程(企画デザイン写植版下製版などの印刷前工程)の集約、インターネットの普及による紙媒体の情報伝達需要の低下、電子書籍の普及による紙媒体の出版印刷の減少などの影響がある。また、電子書籍の普及につれて更に厳しさが増してくるものと思われる。一方、スマートフォン・タブレットの普及により、新たなビジネスチャンスが生まれてくると捉えることもできる。

 

【図表1 印刷業界 事業所数】


出所:全日本印刷工業組合連合会 工業統計 経済センサス〔産業編〕より作成

 

【図表2 印刷業界 従業者数】


出所:全日本印刷工業組合連合会 工業統計 経済センサス〔産業編〕より作成

 

印刷業界の事業者数を見ると、1998年に32,348所であった事業所数は、2011年には20,888所へと11,460所減少(減少率35.4%)している(図表1参照)。また、従業者数を見ると、1998年に362,170人であった従業者数は、2011年に257,256人へと104,914人減少(減少率29.0%)している(図表2参照)。

印刷業界の事業者数、従業者数が減少している理由としては以下があげられる。

 

1)景気低迷による発注数の減少に伴う企業数の減少

2)DTPやオンデマンド印刷機、大判カラープリンターの普及による工程の簡素化

3)必要部数しか刷らない小ロット化の進行

4)CTP(Computer to Plate)の急激な普及

5)クライアントの印刷物の内製化

6)インターネットの浸透による紙のメディアへの影響

7)異業種からの印刷分野への進出が増えてきたこと

8)コスト削減のための生産の海外移管

 

3.企業環境の変化に対するA社の取り組み

(1)概要

 

創業年月日

昭和14年

資本金

60,000千円

従業員

50名(2014年3月31日現在)

業種

印刷業

商品・技術

文字・画像等を主体とした情報をクロスメディアへ展開する複合サービス及び情報コミュニケーションへのコンサルティング

市場・顧客

医療関連業界、出版・商業印刷等

 

(2)ライフサイクル

 

【図表3 A社 ライフサイクル】


出所:ライフサイクル作成データ参照(1959年以降のデータ)

 

(3)創業期から成熟期の特徴

 

区分

主な社会・業界の動向

経営の概要・特徴

得意先・技術の変化

創業期
1939年~1970年頃

・広告媒体が新聞からTVへ
・コンピューター組版システムの誕生

・戦争後の立ちあがりが早かった
・市場が拡大していた時期であり、積極的に活動していた
・TVの出現により新聞広告の衰退を予測し、総合印刷の方向へと向かう

・創業者の顧客との信頼関係のおかげで取引が成り立っており、顧客からの要望に応える商品の提供ができていた

成長期
1971年~1991年頃

・電算写植機の登場
・DTPの登場によりPC上で組版と構成が可能になる

・会社内の人間関係がよく、家族的な雰囲気で連帯感が強い人たちが中心となった時期である
・当時の顧客は億単位の取引が多く、好調な時期であった

・IT化の波の中で新聞広告をどうするかの意思決定が行われた

・1990年頃から顧客の新規開拓をするようになる
・顧客の要求が高くなり、スピードと正確性を要求されるようになる

成熟期
1992年~2003年頃

・新聞広告の激減
・パソコンの普及
・AdobeがPDFを開発
・DVDの登場

・全社的な意思決定ではない開発も行われており、社員がやりたいことをやっている状態であった

・バブル崩壊後は売上高の減少の一途をたどっていく

・ホームページのコンテンツの企画段階から関わる等、顧客に深く入り込んで新分野での業務を展開することができた

衰退期

2004年~

・新潟県中越地震

・リーマンショック

・東日本大震災

・医薬品業界への経営資源の集中スタート

・社内印刷廃止

・経営資源を集中する事業を薬業と学会に絞る

 

4.A社における近年の取り組み

(1)特化戦略によるA社の方向性の明確化

2009年に医薬品業界へ経営資源を集中する方針を固め、2010年には既存顧客を中心に深耕を図り、付加価値の高いマーケットへの拡大を図った。経営陣が市場の集中化の方針を固めたことで管理者が業務管理と業務改善の役割を果たすことにつながる。

営業の各課において具体的な目標を設定して活動を行っていたが、営業マン全員が既存顧客の深耕と新規顧客の開拓を同時に行っている状況であった。各営業マンの特性を考慮せずに一律に営業の方針を決定していたことと各戦術への幹部の関わりが薄かったことの反省から2010年から既存顧客の深耕と新規顧客の開拓それぞれについて得意な営業マンに分類していく組織体制への転換が方針として掲げられた。

 

(2)各営業マンの能力棚卸と顧客ニーズを把握するための仕組みの構築

戦術への関与が薄いという問題に対する現状としては、各営業マンの上司に対する報告のルールが明確になっておらず、各営業マンの活動がブラックボックス化していたため、顧客に価値のある営業活動を行えているのかどうかわからない状態であった。

そこで、2010年から2011年にかけて営業活動の見える化をはかり、受身の営業から提案営業への脱却を図ろうとした。具体的には、売上計画を構成する各課の「戦略戦術プラン」に則り、それぞれの進捗状況に応じて必要な情報、有効な情報、課題は何かについて、各課のミーティングで定め、課題獲得の精度向上への統制を図る活動を立ち上げた。2012年には営業活動報告書を最低限5枚提出というルールを設定した。

また、全営業マンとの面談を通じ、各自の能力の把握と幹部による共有化をはかり、一人一人の育成課題を明確にしていった。

これらの活動によって、なにげなく営業活動を行っていた時と比較して、顧客から「そんなことも知らなかったのか」という風に捉えられることもあり、顧客満足度が低下することもあった。しかし、顧客目線で考え、相手の立場に立って物事を考えるという意識が浸透することに貢献している。また、営業部門が製造部門と連携し、顧客の課題解決に向けて取り組むことにより、顧客のニーズの把握を的確に行えるようになってきた。

 

(3)顧客情報共有の場の発足

2012年からは営業全体会議という営業マン全員が出席する会議が発足した。営業全体会議によって、課を超えた指導が行えるようになり、人材育成に厚みが加わった。また、各営業マンが提出する営業活動報告書の集計分析報告を行っているため、活動の活性化にもつながった。この活動によって部下との関わりが増え、前述した人材育成と組織活性化という管理者の役割を果たすことに貢献した。

しかし、A社が環境変化に自立的に適応できる自立的企業へ脱皮するためには、短期的な視点だけでなく、中長期的な視点が不可欠であることと幹部候補がA社に属する意味を改めて考え、創業者の考えを受け継いで経営を行っていく必要があった。

 

(4)中核人材育成の視点を含めた中期経営計画の策定

そこで、2012年から2013年にかけては、ライフサイクルの転換に向けた新事業構想の具体化と次世代への事業継承を目的として2014年度から2016年度までの中期経営計画策定プロジェクトを実施した。メンバーは社長、専務に加えて営業部門の各課長と制作部門の次世代を担う人材である。

今までは、経営計画は社長、専務主導で策定していたが、経営理念の再構築も含めた経営計画書を次世代のメンバーも交えて策定したことで経営陣と次世代メンバーのコミュニケーションを図ることにもつながり、経営課題の共有化が図られ、各課長がコミットした経営計画の策定につながった。さらに、ライフサイクル分析を行ったことで幹部候補がA社の歴史を理解することができ、改めて先輩達の偉大さを実感することとなった。

 

(5)顧客情報を営業活動に活かすための取り組み

2013年には営業活動報告書の提出数を最低限15枚提出するというルールを設定し、各営業マンの意識を高めていった。活動立ち上げ当初は、5枚でさえも満足に提出されない状況であったが、2013年には全従業員が最低15枚提出できている状況である。

また、2013年には戦略策定プロジェクトを発足させた。営業活動報告書を基に各課の課題を各課の戦略や具体的な戦術に落とし込むという内容のプロジェクトである。プロジェクトの運営自体は発足当初は幹部候補が行っていたが、徐々に幹部候補より下の層に移管することによって人材育成と組織活性化が図られている。

 

5.まとめ(成果と今後の課題)

(1)成果

リーマンショックに代表されるように企業を取り巻く環境は非常に厳しいものがあり、A社においても、一人当り限界利益、一人当り売上高は2011年度2月には過去5年間の中で最低の数値となっている。しかし、2011年2月を底に一人当り限界利益、一人当り売上高ともに上昇しており、2013年度3月には一人当り限界利益、一人当り売上高ともに過去5年間で最高の数値を記録している(図表4参照)。

 

【図表4 A社 一人当り限界利益/一人当り売上高(12カ月移動平均)】


※A社の業績は季節変動が大きいため12カ月移動平均を用いてデータを算出している

 

【図表5 管理者の役割の枠におけるA社の変化】

  

改善前

改善後

業務管理

全社的な経営計画の策定をトップのみで行っており、現場の営業マンの特性を生かした経営計画の策定が行われていなかった

中期経営計画も含め全社的な経営計画の策定を現場の営業マンに近い管理者も含めて策定することによって現場の営業マンが経営計画にコミットした活動が行えるようになった

業務改善

顧客のニーズに対応する活動が実際に行われているのかがわからず、経営計画の達成に向けて有効な活動が行われているのかがわからない状況であった

営業活動報告書の高度化によって、顧客のニーズを的確に把握できるようになった

また、獲得した情報をブラッシュアップする場を設け、様々な意見を施策としてまとめ上げることで顧客ニーズに対応した営業活動が行われるようになった

人材育成

営業マン全体の会議がなく、情報共有が十分に行われず、また、部下の育成も各課の中にとどまっていた

営業マン全体の会議の発足により、情報共有が十分に行われるようになり、課を超えた部下の育成が行われるようになった

組織活性化

管理者未満の人材が主役となることができる場がなく、トップと現場の感覚が一体となっていなかった

戦略策定プロジェクトの発足により、管理者未満の人材が主役となることができる場ができ、管理者未満の人材に責任を付与するとともに経営の感覚を身につけることに貢献した

 

(2)課題

A社は2016年度の業績目標として、1人当り限界利益月800千円を掲げている(2013年度の約10%アップ目標)。上記の業績目標を達成するためには、営業活動報告書の質の向上、戦略策定プロジェクトの深耕が重要となってくる。

現在、営業活動報告書の提出枚数は、月15枚と設定されており、量の面ではある程度担保されているため、次は質の向上が課題となる。現在、各営業マンからは一度にまとめて提出されることもあり、提出枚数を確保するための活動となっているため、本来の目的である課題獲得の精度向上のための取り組みとなっていない。そこで、営業活動報告書1枚1枚に価値を付加するため訪問日の翌日までに提出するルールとすることが決定された。ルールの順守を徹底させるためには、管理者の部下との関わり方が非常に重要になってくる。

管理者の役割が経営課題を解決する上で非常に重要になってくるが、A社において特に重要となってくる役割が「人材育成」と「組織活性化」である。

「人材育成」は、職務能力の向上とともに人格能力の向上も重要なポイントとなってくる。職務能力の向上については、既存事業のマネジメント移譲の過程におけるリーダー育成を行っていく。委譲される側は責任と権限が拡張することと業務の幅が拡大することによって能力を発揮でき、リーダーとしての意識も向上する。委譲する側においても、部下との関わりの中でコミュニケーションが活性化し、自身が会社のより大きな経営課題に取り組めるというメリットがある。

また、今期は上述した戦略策定プロジェクトにおいて設定した4つの事業戦略それぞれについて分科会を開催していくこととなっている。このプロジェクトの成功を通じて、メンバーの成長、特に、プロジェクトリーダーの成長を促すことが期待される。

 

 

<参考文献>

山名一郎、印刷出版文化研究会著:「図解印刷業界ハンドブックVer.2」東洋経済新報社、2007年

礒部巖著:「黒字体質へ変える創造経営ガイド」中央経済社、1994年

 

以上